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加島美術の鑑定眼:目次(インデックス)
- 画を芸術的に観るには?
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加島美術の鑑定眼:目次(インデックス)
加島美術:画を芸術的に観るには?
加島美術は眼の修養を積むにも常に「画を芸術的に観る」事を心がけます。
加島美術にとっての「画を芸術的に観る」事とは?
- その画に「生命」即ち霊が現れているかどうかを主要な眼目とします
- 写生だとか、写意だとか、客観だとか、主観だとかことは謂わば第二の問題ですから、それを後にして先に画の生命 ー或いは霊ー を観なければなりません。それを視てその画が面白いとか面白くないとかいうことを極めれば自然写生とか写意とかいう問題も解決してきます。
- 「生命」とは何なのか?
- 「生命」ー霊ーは、画法でいう所謂「気韻生動」であるといってもよいのです。即ち詩的分量であり、縹渺とした画家の気です。また、その画に霊感があって、何ともいえぬ微妙な感じを與えるものです。
- 森田恒友氏は、絵画の芸術的な見方について次のように語っています。
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「絵も随分描きみだれて沢山の画が出たために、個性というもが大分穿きちがえられている。形式が相違すればそれが個性だというような解釈があるが、それは個性ではない。それは窮屈で不自然で、無理である。個性というものは画家自身では自覚しないものである。ただ素直に、蟠り無く、強く進んでいけば、そこに個性が出てくる。画人にこの素直ということがなければ、たとえ形式だけはいくら新しく変化しても、真に新しい画は生まれない。絵が新しくなることは、絵を作ろうという態度からは、絵は決して新しくならない、自然を写そうという情熱から、始めて新しくなるのである。私は支那の画についてはあまり多くは語り得ないが、南画なんかの面白さは、画工ではない人が気儘に描いたものに面白いものがあると思う。とらわれないからである。」
- 同氏は、また曰く
- 「要するに形式は第二のものである。西洋画も日本画も生命は同じで、違う点は各々長い年月の間に養われてきた趣味だとか、絵画上の事業方面の伝統にある。例えば一方は紙や墨を用いているのに、一方は油やカンヴァスを用いているといったような点にある。だから絵の趣味や形式を生命のように心得て居られては困る。同時に絵は巧拙論をじてもいいが、生命を比較すべきものではない。生命を比較することは、人間の魂を比較するようなもので、不遜極まる話になる。」
- そして、模倣の画に対してはこの様に言っています。
- 「すべて模倣その物に生命がないのは、摸倣者自身が自然から何も感じないで、筆を採るに過ぎないからである。自然について描くものは、神から独創の祝福をうける。たとえ壜が曲がっていようと、人の顔がおかしな風になっていようと、自分の眼に従って正直に描くので、そこに生命があるのである。」
加島美術では、「画を生命のものとして芸術的に観る」態度を同氏のこのような考え方より学び心得として参ります。また、この様な見方を養うために私たち自ら画家の精神になって自然を観て行きます。言い換えるならば、画家と一所に自然を見てその霊覚を養って行くことを大事にして参ります。
