Location:

過去のトピックス|コラム・日本美術虎の巻「Vol.1やっぱり圓山派」

日本美術史上燦然と輝く画系圓山派

和歌ノ意(地引き網図)圓山応立筆

日本美術虎の巻記念すべき第一回目は圓山派の魅力に迫ってみたいと思います。 圓山派と言えば写生からなる温かい画風が特徴で、松村呉春、長澤蘆雪、山口素絢ら応挙十啓と呼ばれる画家から幕末期の中島来章、川端玉章はては幸野楳嶺から近代の画家達に到るまで多様な面々が存在しているのが非常に面白いですね。

又、圓山派の祖である圓山應挙の経歴に関しても面白く、初めは鶴沢派の流れを汲む狩野派の絵師石田幽汀に師事しており、近世日本画史上最大派閥を生み出した感性のルーツには伝統的な技法と教えがあったのです。ただ、その程度の経歴の画家は星の数程いた訳ですから応挙の場合その土台を基に新たな技法、感性への渇望が革命的な画風を築く要因となったのだと思います。

更に應挙の素晴らしさは弟子達にも積極的に独自の画風を生み出させ、それぞれの個性を最大限の導き出す指導法にもありました。

異端的存在の長澤蘆雪に対して應挙は蘆雪の使用していた印の一つであった魚印の縁の一部を欠けさせ「これでとじ込められていた魚も外へ出られるでしょう。あなたも、いつまでも私の殻の中に留まっていてはいけません。」と自由な発想を後押ししたと言います。この様な應挙の新しい画風へのあくなき創作姿勢は、後の画家達へと脈々と受け継がれ、そこから生み出される作品に人々は魅了されてきたのです。

その事は、京都御所が1854年に火災で大半を焼失した際、再建の為、障壁画制作に画壇を担っていた数々の圓山派の画家たちが加わっているのでも解ります。 時代を経てもなお、我々に新鮮な感覚を与え続けてくれる彼らの作品を一圓山派ファンである加島美術は今後も取り上げ続けたいと思っております。

写真は、圓山応立筆「和歌ノ意(地引き網図)」京都御所障壁画より